河野十全の真理生活研究所・人間社

河野十全の言葉

河野十全は著書の中で、詩でメッセージを伝えています。
その中のいくつかを紹介していきます。

笑えば楽しくなれる肉体生理

「気で楽しく生きる」より

「宇宙に生かされ、生きる毎日が楽しい」と言っても、「人生は苦だ」という人には、試しに「アッハッハ」と笑ってみることを、是非お勧めします。
「アッハッハ」と笑ってみれば、腹の底から息が全部出せます。
何となくすっきりとし、気分爽快(そうかい)で愉快になるはずです。
次に、すすり泣きを真似てみましょう。
こちらは息を吸い込むばかりで、果ては胸が苦しくなり、妙に寂しく、悲しくなります。
笑えば、胸の内圧が下がり、肩も垂れ、上半身がリラックスすると同時に、七福神の布袋和尚(ほていおしょう)のように、下腹が突き出て、ヘソが天井に向き、腰がグッと締まるという効果が発揮されます。
反対に、泣けば肩に力が入り、腹や腰は虚脱します。
なるほど、笑いは「百薬の王」、人生の妙薬です。
人間の感情には、喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、驚き、さらに憎悪や恍惚(こうこつ)など、いくつも種類があります。
このうち最も望ましいものは、喜びと楽しみで、そのポジティブな感情の主な表現が、この笑いの表情です。
我々人間は、人生の中で、笑いを求め、他人にも笑顔を向け、他人と笑いを共有しようとします。
感情を表すあらゆる表情の中で、笑いやほほえみは、最も頻度(ひんど)の高いものといえます。
人間誰もが、安心感を得て、喜と楽のポジティブな感情の中で生きられる時、幸せを感じます。
そういう時には、自然と笑いがこぼれ出るもの。
しかし、現実の生活では、なかなかそうもいかず、面白くないことや、もめ事が尽きず、ネガティブな感情にとらわれることが多いものです。
人間が健康に生きていくためには、ネガティブな状態に落ち込んだ時に、そこにいかにして、ポジティブな感情をふりそそぐことができるか、ということが重要です。
笑いはその役目を果たしてくれます。
泣きたい時、しんどい時こそ、笑いを忘れてはいけないと言われているのは、なぜでしょうか。
笑ってしまうと、へばりついていた何か重たいものが落ちてしまって、本来の自己が現われ、エネルギーもわいて出てくるからです。
笑いというのは、人間が平衡(へいこう)状態を崩した時に、それを元に戻そうとするエネルギーというわけです。

美しい季節

「人間全書・宇宙とともに生きる人づくり人間完成法」より

自然の世界に四季があるように、人間の生涯にも、また同じように四つの季節があります。
今、仮に25歳までを春とするならば、50歳までを夏、75歳までが秋、そして、それ以後がいわば冬の季節にたとえられます。
四つの季節をすべて経なければ、一年が終わらないように、 人間もまた、人生の四季をことごとく経て、初めて人間として完成されるのです。
これは、肉体のみに限って言っているのではありません。
かくして、人間的な完成、人間成就のためには、どうしても長寿が必要であり、長寿のためには、どうしても健康が必要、ということになります。
そのためには、なるべく早い時期に、自己の生活を自然に即した方法に切り換えることです。
すなわち、「生きる」生き方から、「生かされ」生きる生き方に乗り換えることです。
それに成功すれば、あなたの人生はいつも健康。
幸福にも恵まれ、その行く先はまっすぐ長寿の都です。
人生の真の楽しさは、晩年にあり、季節にたとえれば、冬にあたる75歳を過ぎてからです。
まだ、秋のうち、ましてや夏のうちから、自分から老け込んでしまってはいけません。
もうトシだからだめだ、などと、ぼやきながら暮らすのは、自ら墓穴を掘るたとえどおり、せっかくの寿命を縮めてしまうことになります。
そのくせ、そういう人にかぎって、いつまで経っても、ただ生きよう、生きようという気だけが先に立つから、もう先が短いとか、何とか言いながら、ついつい無理をしてしまいます。
いつまでも心ばかり使って、体をくつろがせる暇がないのです。
人間は、本当は、年をとるほど頭も冴え、感情や欲望も浄化され、美しくなるものです。
冬の季節は、人生のうちで最も美しく、味のある時期なのです。
その時期を待たずに終わってしまうのは、ばかげています。
終わる間際になって、いくら嘆いてみても、もう取り返しはつきません。
長寿のもとは、健康です。
健康を保つための生き方は、若いうちから始めるほどよいのですが、いくつになってからでも、遅すぎるということはないのです。
気がついたら、すぐに始めることです。

太陽とともに歩み、よき運命をつかむ

「月刊人間 №.259」より

体に気が充実している人、気が働く、気がきく、気がつく、というような人は、すべてが運命の機会です。
あらゆる時に、機会をみつけて、自己を運ぶ気持ちのよい人、そういう人が、平凡な社会をどんどん駆け抜けてゆくのです。
頭がよいとか、利口だとか、ということもありますが、そういう条件よりも、運命をよくする気が体にあるかないか、ということが、好運の条件なのです。
気は、宇宙いっぱいに満ちています。漲りわたっている宇宙大自然は、気の世界。
人間の命というものも気であり、肉体は気のかたまりです。
気を得るには、太陽とともに歩み、太陽に道案内をしてもらえばいいのです。
太陽というのは、昼の世界です。陽とともに目覚めて、太陽とともに働く。
陽が沈んだら、体を休めて、大地とともに眠れば、宇宙のリズムが身についてきます。
夜遅くまで遊び歩いていたり、身心を使っていたりすれば、雑念妄想が増えるだけ。
生命力が失われてしまいます。
太陽に守られて生きれば、肉体はどんどん気を力に変えてくれるのです。

自然と人間と社会

「感覚人生のすすめ」より

人間社会において、つまらないことで動き回ることほど、愚かなことはありません。
すべてを理解してゆく力があれば、見たもの聞いたもの、よい事でも悪い事でも、みな材料になります。
その識別ができないうちは、つまらないことには触れない方がよいです。
つまらない社会と接するよりも、大自然の気に触れることが、どれほど人生に役に立つか分かりません。
そこには大きな力があります。大自然の中に生きていれば、つまらない欲はなくなってしまいます。
そして、肉体的にも精神的にも、すばらしい健康が訪れてきます。
生かされており、生きているという縦の線、自然と人間のつながり。
自然の気を肉体に受けて、力とすれば、これが意識をコントロールしてくれます。
そうなると、人間のつくった社会もすばらしく、便利なものとなります。
こうした社会の中から、役に立つ物事を発見するのも楽しいものです。
これも、体が自然の気を受けて、よいように成り立っているということに条件があります。
すべてを体が知り、体で行うのです。

簡単が一番

「月刊人間2018年8月号・自然生活法」より

「よく考えろ」などと、人間は、あまりにも考え過ぎる傾向があるようです。
思い過ぎ、考え過ぎて、物事を難しく、複雑に膨らませて、かえって悪い結果を招くことが、往々にしてあります。
簡単、単純が一番いいのです。
もっと単純にしていれば、必要なことだけに気がつくようになりますから、生活が簡単になります。
患いや悩みがなくなります。
自然の中に自己があると、自然に自己が乗って生きることができます。
そうなると、自己の思うことが、不思議と成就するようになります。
不思議が当然となってゆくのです。
そして、人を動かすこともできるのです。
この自然作用の利用、自然に乗る、ということが大切です。
ついている人、やること為すことがみな、とんとん拍子にゆく人、などというのは、自然に乗っている人のことです。
そうして、常に正しく物事を運んでいる人は、自然に成功してゆくのです。

幸福というもの

「気の幸福論」より

人間が生きるにあたって、その最も大きな推進力となるものは、「楽しさ」である。
楽しさがあり、また、事実、楽しいからこそ、日常のはんざつな生活もいっこうに気にならない。
たとえ、不快な出来事があっても、それを超えるはるかに大きな楽しさをもっていれば、 よほどのことでないかぎり、大して気にもならず、たちまち忘れ去ってしまう。
この楽しさは、幸福につながるものである。
…現在、幸福である。
…現在は、まだ必ずしも幸福といえないが、将来は幸福になれることを確信している。
…将来においても確信はないが、しかし、いつかは幸福になれることを希望し、期待している。
このように、人により異なるにしても、「幸福」というものがあればこそ、私たちが生きるための力を得ることができる。
幸福につながる楽しさがあれば、私たちの生活は特にそのための努力をしなくても、ひとりでに推進される。
これが人間の生命を保持するための大きなエネルギーとなっている。

人間は合理的に生きている

「生命を探る」より

細胞の健全ということは、細胞の収縮作用がしっかりしているということであり、これが生命の根源である。
細胞に力があれば、疲れるということがない。
疲れてもすぐ治る。一晩寝れば、必ず治るように肉体はつくられている。
どんな空気の悪い所でも、細胞は、よく働いてくれる。
いい空気に合えば、もちろん、はつらつとするし、しっかりとした呼吸法によって、細胞を生き生きさせることができる。
いつでも肉体を新鮮に保つには、眠りと呼吸作用、そうして細胞の収縮運動のための体全体の自然運動を行うことである。
食べ物などは、何でも、よく噛んで、腹八分に食べさえすれば、おそらく病気をすることなどはないはずである。
それは、細胞によってつくられるものである。
現代のような、忙しい生活をしている時には、神経も疲れるが、まず細胞が疲れる。
人間は、気分転換するために、遊んだり食べたりして、さらに細胞を弱めてしまう。
気分転換するには、体を投げ出して、生かされているという状態になって、細胞の生命力から気分の転換をする。
体を投げ出して、生かされているという状態になることは、生命力をあらためる最高の気分転換である。
意識的な気分転換法と、肉体生命の根本から命を変えるということは、非常な違いがある。

これでよいと心で割り切る

「人間読本・自然生活法」より

誰の人生においても、様々な問題が起こってきますが、
すべて「これでよい。これがよい」と心で割り切ることができると、嫌だとか、困ったとか、辛い、悲しい、 苦しいなどと感じることがありません。
「仕方がない」と、すべてを割り切ってゆくことができれば、何も心を悩ますことがありません。
すべて「これでよい。これがよい」と、割り切って先へ進んでゆく。
常に積極的に、元気に、愉快に、割り切って、人生の道を歩いてゆきたいものです。

明朗闊達な生活になる

「人間読本・自然生活法」より

気づまり、心配性、陰気、萎縮、消極、臆病、引っ込み思案、劣等感、抑圧などは、老化を加速させるので、要注意です。
すべて自己意識過剰から出るものゆえ、常に伸び伸びした心、すなわち自然の精神で、 明朗めいろう闊達かったつに生活することです。
喜びを食べて生きましょう
希望を食べて歩きましょう
楽しさを食べて進みましょう
善を食べて徳を高めましょう
美を食べて表現しましょう
愛を食べて情操を高めましょう
光を食べて力を蓄えましょう
闇を食べて命を養いましょう
真理を食べて賢くなりましょう
自然を食べて長生きしましょう

命は肉体である

「人間読本・人間を知る」より

人間は、たいていの人が、思いもかけぬ錯覚に陥っています。
生命とは何か。
命が大切ということは知っていますが、命とは肉体である、ということをはっきり知っている人が少ないのです。
肉体を愛護せよと言えば、ものぐさをして、肉体を働かさないで、遊ばせておくなどということは、大錯覚です。
肉体がつくられ、生かされている命の元であって、そこに感覚というものがあります。
また、働きのためのエネルギーというものがあります。
肉体に、一番必要なものは、感覚とエネルギーです。
精神、智恵、知識などというものは、それから発生します

心は人間を誤らしめる

「人間読本・人間を知る」より

一番、誤りを犯しているのは、心というものを作ったことです。
人間は、誰も心を持っているけれども、人間の作った心は、社会的なものであって、人間をあやまらしめ、人間をよくするものではないのです。
せめて、心というならば、精神という形で、意識を正常なものとしておかねばならないのです。
人間の意識というものには、自我性の意識、貪欲な意識、我がまま勝手な意識というような、心的意識が多いものです。
これに警戒しないと、自分で自分を悪くし、弱くし、損をし、不幸にしてしまうのです。
それは、人間心と称する、社会性の意識のことですから、その自我性の意識、私が私がという、自分本位の我がまま意識を、警戒せねばならないのです。

目に見える肉体は、目に見えない世界に通ず

「人間読本・人間を知る」より

肉体には、意識があるように思うけれども、肉体の持つものは、感覚です。
暑い、寒い、痛い、痒い、というような感覚から、目に見えない世界に発生することも、勘で分かるのです。
感覚という、目に見えない世界に行くのが、肉体の特徴です。

目に見えない意識・精神というようなものは、目に見える世界に行くようにつくられているから、面白いことです。
目に見えない精神・意識・感覚というものは、目に見える世界を知ろうとし、
目に見える肉体というものは、目に見えない世界に通ずる力を持っています。
この事実を教える人がいませんが、これを知っただけでも、非常に利益をするから、この言葉を知っておいていただきたいものです。

肉体は、目に見える肉体でありながら、目に見えない世界を感覚する力を持っています。
それに反して、目に見えない肉体の中にある意識的なものは、目に見える世界を目的とし、あれが欲しいの、これが欲しいのと、いろいろなことを考えたり、したりします。

これは、精神・意識・心という、目に見えない肉体の中に巣を食っている、一つの力であるということを、よく聞き分け、思い分けて、心に油断するなと、
昔から、人はしきりに、自分の心に自分が警戒してきたのです。
おかしいようなことですが、本当なので、心というものに油断してはならないのです。

人は心を尊んで、肉体をいやしむ癖がありますが、とんでもないことです
肉体こそ生命の根本です。
働きをなすのは肉体です。
肉体で働けば、健康健全賢明になり、運命もよくなっていくのです。

自然とともに

「気の幸福論」より

人間が自然のなかに、自然と一体となって生きているからには
日常の生活すべてに、なるべく自然なものを取り入れ
自然とともに生きることが望ましい
自然にいる
自然に歩く
自然に寝る
自然な食物を食べる
自然な着物を着る
自然の日光を浴し、自然の清水を飲む
自然の植物にふれ、自然の動物に親しむ
自然なものを見て、自然なものを聞く
自然な無理のない考え方をし、自然のなりゆきにことさら逆らわない
ひと言でいえば、自然に素直にしたがい
自然に反するものは、できるだけ避けようということである。

自然に帰れ

「気の心理学」より

自然に帰れ
自然は生きている
自然とは、生命のことである
木にも、土にも、石にも、生命があり、力がある
動くものと、動かぬものとがあり、秩序がある
自然にも心があり、これを法則という
人間にも心があり、これを意識という
自然の法則にしたがえば、益となり、功をなす
人間の意識にしたがえば、害となり、罪をつくる
人間が自然の心を心とすれば、それは精神である
人間が人間の心を心とすれば、それは人間心である
精神と人間心の違いに、なぜ気付かぬか、いつ気付くのか
人間はそれまでは不幸であり、いつまでたっても不和は去らない
人間は自然世界から創られた自然人である
胎生10ヵ月、人生100年ないし120年、これことごとく天寿
その生命は宇宙から与えられた
人間は宇宙人である
その上の自己、その中の自己
人間よ、自然に帰れ

さあ朝が来た

「人間全書・運命を開く」より

さあ、朝が来た
体をゆっくり伸ばそう
静かに呼吸を始める
体が呼吸をしている
体中が深い呼吸をしている
見える世界と見えない世界がつながり始めた
他力と自力が1つになる
今、宇宙の中にいる
宇宙と1つになった
宇宙になった
宇宙の美しさがわかる
宇宙の楽しさがわかる
この肉体も楽しい
すべてが、この上なく楽しい
ああ、幸せだなあ
これが幸福というものか
そうだ、これが幸福というものだ

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